今年もやります浅草七福神巡り - KOMOREBI||blog

今年もやります浅草七福神巡り

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さて、今年も恒例となっている「浅草七福神巡り」を8日に行います。
これは筆者が管理しているmixiコミュニティ"1Day散策"で年始めに毎年おこなっているイベントだ。
» http://c.mixi.jp/1day

今回はこの浅草七福神をちょっと紹介しよう。

浅草の七福神というのは、実はその名の通り7カ所あるかと思いきや、そうでないのが大変なところ。

「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。?
九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」
?

という古事に由来して、実は9ヶ所ある。
その回る場所は以下のとおり。

  • 浅草寺(大黒天) [地図]
  • 矢先稲荷神社(福禄寿) [地図]
  • 鷲神社(寿老人)? [地図]
  • 吉原神社(弁財天) [地図]
  • 石濱神社(寿老神)? [地図]
  • 橋場不動院(布袋尊) [地図]
  • 今戸神社(福禄寿) [地図]
  • 待乳山聖天(毘沙門天) [地図]
  • 浅草神社(恵比寿) [地図]

でわ、1つ1つ神社仏閣を見てみよう。

浅草寺

URL: http://www.senso-ji.jp/

DSC_0021

ここは多くの方が知っている有名なお寺。
その由来は、 628年に今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成・竹成兄弟の網に一体の仏像がかかり、それを豪族の土師真中知が深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めたのが浅草寺のはじまり。
しかも意外に知られていないのが、ここのおみくじが3割が「凶」であること。
そのため、凶以外のおみくじは結ぶことができないという、面白いところでもある。
なお、ここ最近は参拝者が多いため、御朱印は浅草寺隣りの影向堂で行われていて、こちらに"米びつ大黒"として江戸以来市民の崇敬を集めていた大黒様がいる。


矢先稲荷神社

URL: http://www.maroon.dti.ne.jp/~satton/meisyo/yasakijinjya.html

矢先神社は、1642年に時の三代将軍徳川家光が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、三十三間堂を建立し弓の射技練成のために「通し矢」が行われていた。その後この堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられたとされている。
ここの福禄寿は、長寿の象徴の鶴を横に従えた像があります。


鷲神社

URL: http://www.otorisama.or.jp/

ここは酉の祭、酉の市で有名な鷲神社。 江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁昌、家運隆昌、子育て、出世の神徳が深いとされ、「おとりさま」と称されて古くから江戸下町の民衆に篤く尊信を受けてきた神社。
こちらには寿老人が祀られている。
ちなみにここで行われる酉の市は、 日本武尊が東征の帰途、ここの松に熊手をかけて勝ち戦のお礼参りをされた日が、ちょうど11月の酉の日であったことからその日に神様をおなぐさめする祭が行われるようになり、それが酉の市のはじまりとされている。


吉原神社

吉原といえば、江戸時代に公許の遊女屋が集まる遊廓(吉原遊廓)、およびその地域で有名です。
その歴史は元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されのが「江戸元吉原」。
しかし明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」ということになる。そしてこの新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳稲荷社と、廓内四隅の守護神であり、榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られていた。この五社が明治5年に合祀されることになりここ「吉原神社」として創建されている。
もちろんここに祀られているのは 市杵嶋姫命(弁財天)

なお、ここは1/1?1/15の期間しか人がいない。
七福神巡りでこの期間以外で来る場合、御朱印は 千束稲荷神社 へ行かなければならないので注意。


石濱神社

URL: http://www.ishihamajinja.jp/

ここ石濱神社は、神亀元(724)年に勅願によって当地に鎮守され、源頼朝が藤原泰衡征討の際に、祈願して「神風や 伊勢の内外の大神を 武蔵野のここに 宮古川かな」と詠み、大勝の目的を果たした場所。 江戸近世における社運はさらに隆昌、『江戸名所図会』にも大きく納められるところとなり、「神明さん」の通称のもと、市民の間にその名を馳せたので有名である。
ちなみにこちらには寿老神が祀られている。


橋場不動院

URL: http://www.fudoin.jp/

ここは天平宝字4年、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で、一刀三礼して刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には、必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏としてあがめられている。
明治末年の大火、関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは、災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっている。
なお、 ここの動院の布袋尊は江戸時代のころから伝わるもので、肩に袋がなく、お腹が袋代わりの形をしている珍しいモノです。


今戸神社

URL: http://members2.jcom.home.ne.jp/imadojinja/

1063年、源頼義・義家父子が、勅命によって奥州の阿部貞任・宗任の討伐の折、篤く祈願し鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡の創設の由来。それが 江戸時代、三代将軍徳川家光が今戸八幡の再建のために官材を下し、船越伊豫守と八木但馬守に命じて寛永13(1636)年に再建したもの。
数年前までは他の神社仏閣と同じく、あまり人が来る場所ではなかったのだが、数年前から「縁結び」としてTV等に取り上げられたことから、年中写真のような人だかりになってしまった。
ここは江戸の招き猫発祥由来があり、しかも2体の招き猫が「縁を結ぶ」ということから、女子に大人気となっている場所。
もともと、新撰組の一番隊組長にして、女性の人気の高い沖田総司の終焉の地でもあるとされていて、女性には人気の場所のようだ。
こちらに祀られているのは、福禄寿。

2体のにゃんこ先生

あまり知られていないが、脇の宿舎には、アニメ「夏目友人帳」の白黒のにゃんこ先生像も祀られている。以前にアニメの大森監督と、声優の井上和彦さんが訪れている
また、この浅草七福神を全てまわると、その年の干支と七福神が描かれたシールがもらえるが、このシールはここ今戸神社の美人姉妹の妹(イラストレーター)さんが毎年描いている。


待乳山聖天

URL: http://members2.jcom.home.ne.jp/matuti/

大根で有名な待乳山聖天。
隅田川べりの小高い丘にあり、595年龍が出現して守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる場所。
かつて待乳山は、周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。
例年1月に行われる『大根まつり』でも知られるここには、木造の毘沙門天が祀られている。


浅草神社

URL: http://www.asakusajinja.jp/

由来は、浅草寺と同じ。
では、なぜ寺と神社があるのか・・それは、 明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。
こちらに祀られているのは恵比寿は、 御扉の奥に安置されているため通常は拝むことができない。


より大きな地図で 1Day散策Vol.32/21/8-浅草名所七福神めぐり を表示

さて、これで9つの神社仏閣を全てあげたが、さすがにこれを1日で回るには可也の時間を要する。
その距離は最短でも7km以上ある。
御朱印をしてもらうにもたくさんの人がいると時間もかかるので、余裕を持って出かけるようにしよう。
また、御朱印をして貰える時間も、17時くらいまでとなっている。

くわしくは、浅草名所七福神会に問い合わせてみるといいかもしれない。

電話:03-5603-9977(音声サービス)?
Email:info@asakusas7.jp

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